ルーツは江戸時代の手配師!?人材派遣の歴史について


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明けましておめでとうございます。本年第一弾は初心にかえって人材派遣事業のルーツについてさかのぼってみていきたいと思います。派遣事業を行う私たちにとっても新鮮な派遣事業の歴史です。

人材派遣の歴史

“とらばーゆ”という派遣の求人雑誌で女性の派遣スタッフが急増

派遣といえば、TVコマーシャルでもよく流れていた「とらばーゆ」という派遣の求人雑誌を思い出します。派遣スタッフとして専門的なスキルを活かして働き始める女性がぐんと増えたころでもあります。女性の社会進出が本格的に進んできた頃だったのも追い風になったのではないでしょうか。もちろん、その他にも旧来からある様々な業種や業界で派遣という働き方が社会で受け入れられています。

ルーツは江戸時代の手配師や口入屋!?

日本では、江戸時代に手配師や口入屋と呼ばれる人達が活躍していたそうです。当時は、都で仕事を得たい人々の身元引受人となり、仕事を斡旋していました。人宿(下宿、たこ部屋のような住まい)を提供していたとされています。エースコーポレーションでも、寮を希望する方には個室でゆっくりできるマンションを寮として提供していますがその点も似ています。

例えば参勤交代の大名行列では、全てがお抱えの奉公人では賄うことができないので、口入屋を通して臨時雇用したりしていました。また、武家屋敷も参勤交代時、多数の奉公人が必要になり口入屋に依頼し、町人や庶民を下士として雇い入れていました。その他、治水のための労務や港湾荷役の施設づくりのためなど、人手不足を補うために、仕事を求める人と仕事を提供したい人をつなぐ口入屋が活躍していました。

室町時代に始まった「寄親寄子」も派遣の形態に似ています。

もっと昔をたどれば、室町時代にはじまった「寄親寄子」の関係も注目に値します。地元の有力な武士を傘下に入れたいという守護大名や戦国大名も、寄親を頼り、仕事を求める力のある武士を口利きしていました。これもいうなれば仕事を探す人材と優秀な人材を求める者をつなぐ一種の人材派遣事業のようなものかもしれませんね。

ちなみに、元総理大臣小泉純一郎の祖父も、もともとは人材派遣業

元総理大臣小泉純一郎の祖父であり、逓信大臣をつとめたこともある小泉又次郎氏は、政治家になるまえは人入れ業を生業としていたとされています(Wikipediaより)。かなりの人脈と信頼があり、仕事を探す人に仕事を斡旋されていたのかもしれませんね。

規制により健全な人材派遣という業界が定着

昔は人身売買を行っていたり、多額の仲介料を搾取する手配師や口入屋があったのも事実です。そこで、様々な規制が作られて、現在のような健全な人材派遣事業が成り立ってきました。

1986年に労働者派遣法が施工

労働者派遣法として知られていますが、正式な名称は「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律」。ものすごく長いです。これによって、劣悪な環境下で仕事をせざるを得なかった方がしっかり守られるように法整備がされました。

1999年12月、2004年3月に労働者派遣法が改正

1999年の法改正では派遣業種の拡大を行っています。さらに2004年にはエースコーポレーションの派遣スタッフが多く従事している製造業の派遣が解禁され、さらに紹介予定派遣について法制化されるための改正が行われました。現在もさらにこの労働者派遣法改正が予定されています。時代の状況にあわせて労働者派遣法は改正されているのです。

 

現在では一般労働者派遣事業は認可制、特定労働者派遣も届出制となっており、ほとんどの人材紹介会社を安心して利用できる時代になりました。今後もより労働者の保護を目的として法改正される予定ということです。

派遣という働き方により、専門的なスキルや技術を獲得し、さらなるキャリアアップを目指して将来にわたり活躍されることを心から応援していきたいと思います。

最後になりましたが、昨年はありがとうございました。 本年も皆様にとって健やかな1年となりますように。

エースコーポレーショングループスタッフ一同、さらに躍進して参ります。