滋賀県の逸品近江牛!その歴史と特徴を知ろう


滋賀県の美しい自然と歴史に生まれた極上の逸品、それが「近江牛」です。日本には三大和牛と呼ばれる肉牛のブランドがありますが、その中でも近江牛の始まりは古く江戸時代にまで遡ります。今回は近江牛についてその歴史や特徴についてご紹介します。

滋賀県の逸品近江牛!その歴史と特徴を知ろう

近江牛の特徴

日本の三大和牛ブランド、「近江牛」・「神戸牛」・「松阪牛」の中でも一番古く400年以上の歴史がある近江牛は、その柔らかくて風味豊かな肉質が特徴です。

霜降りの入った肉が広がる深い味わいは、一度食べれば忘れられない美味しさです。

肉自体が繊細で、口に入れた瞬間に広がる旨味は、肉好きなら虜になること間違いありません。きめが細かく、美しいサシ(肉と脂肪のいりまじりのこと)が消えず、適度に粘りを持つ脂肪があるのが特徴です。

近江牛の歴史と誕生

近江牛の始まりは、江戸時代と言われています。

江戸時代には牛肉は薬用とされていましたが、1687年に彦根藩で武具や馬具に使う牛皮を調達した後の牛肉の味噌漬けにされた養生薬、「反本丸(へんぽんがん)」という名で彦根藩から将軍家や徳川御三家への献上品となったことから日本各地に知られていきました。当時彦根藩の区域であった現在の愛東・湖東・能登川地区においても農耕用として牛が飼われていました。この地域の牛も近江牛の起源に関係しているのかもしれません。

このように肉禁食の江戸時代に、「反本丸」は特権階級に賞味されていきました。しかしながら、「反本丸」は彦根藩の井伊家指導のもと、生産された牛肉「彦根牛」の加工品でもあり、もちろん「近江牛」という呼称ではありませんでした。

明治時代になると、肉禁食はなくなり、物流網の発展により近江牛は東京へと輸送されるようになりました。この時代の近江牛はすべて「神戸牛」として取り扱われてきました。これが後の「神戸牛」の誕生です。神戸牛の名前が世に知られるにはそのような背景がありました。

明治22年(1889年)に東海道本線が開通し、滋賀県と東京市(現:東京都)が鉄路で結ばれ、近江八幡駅ができると翌年(1890年)から東京への陸路での直輸送が始まり、ようやく「近江牛」の名が使われるようになりました。明治39年(1906年)に上野公園で開催された全国家畜博覧会で蒲生郡の近江牛が1位になると、近江牛はますます東京市の注目を集め、ここで「近江牛」としてのブランドが誕生しました。

近江牛の定義

日本で最も歴史があるブランド和牛「近江牛」ですが、明確な定義やその商標が法的に保証されたのは最近のことです。

2005年12月、「品種」・「原産地」によって「近江牛」が初めて定義されました。2007年に「近江牛」は商標として正式に登録され、「近江牛」をブランド和牛とし、消費者から信頼と安心を獲得する準備が整いました。

滋賀県の豊かな自然の中で育てられた近江牛は、元々は農耕に使われていた但馬系の牛がそのルーツです。鈴鹿山脈からの良質な水と、湖東平野に広がる肥沃な土壌という最適な環境に恵まれ。栄養バランスに配慮された飼料で育まれた肉質は霜降り度合いが高く、特有の香りと肉の柔らかさが特徴で、高い評価を得ています。

現在、滋賀県内には9市5町に59牧場があり、「近江牛」ブランドを支えています。近江牛の品質は一頭、一頭丹念に育て上げる生産者の努力によって守られてきています。

参考: 近江肉牛協会東近江市

<まとめ>

いかがでしたか?独自の肥育方法と滋賀県の自然の恩恵が生み出す、深みある味わいと柔らかな肉質は、まさに食の最高峰です。

近江牛の歴史や特徴を知り、食すことで美味しさが更に増すこと間違いなしです。

ぜひ滋賀県で近江牛の美味しさを堪能し、近江牛の旨味に身をゆだねてみてくださいね。

滋賀県には「近江牛」のような魅力的なものが沢山あります。滋賀県の派遣会社エースコーポレーションは、ワンルームマンション寮が利用できて、仕事も生活も安心です。新規一転、新しい場所で新しい仕事や生活をしたい方はぜひエースコーポレーションにご相談ください!